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絶望的で憂鬱な人生!自分の半生を振り返る 【幼年~中学校編】

皆さんこんにちは!

このブログはフトアゴヒゲトカゲを中心に記事を書いていきたいと思い始めました。

ブログを書くのも初めてで四苦八苦していますが、

今日は息抜きに中々ハードな自分の半生を振り返りたいと思います。

 

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幼少~中学まで

 

幼少時代

 

 

工員同士の両親の元で生まれ、福井県で幼少を過ごしました。

福井県での思い出は大自然を相手にした遊びの数々で、

小学校の裏山が冬には小さなスキー場となり、体育でスキーを教わりました。

綺麗な小川も流れており、そこで釣りを楽しんだり

田んぼで野球をやったりと、ゲームの”ぼくの夏休み”を体験しているような

美しい日々を過ごしました。

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全てが転がり始める

両親が転職することになり、小学校の卒業式の日に神奈川県へ引っ越し。

適当な両親だったため、神奈川県で就学する事なく半年ほど家にいました。

そのあと、両親が神奈川での仕事が嫌になり

借金取りから逃げるように派遣会社から夜逃げをして愛知県へ引っ越しました。

 

そこで半年遅れで中学校に入学しました。

周りは当然小学校からの同級生や友達がいる中で、

自分は勉強も半年遅れで福井訛り、知っている人がいない環境へ入りました。

最初は福井訛りが珍しい事もあり、イントネーションを小馬鹿にされたりしましたが、

徐々に打ち解けて友達を作る事も出来ました。

 

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悪夢再び

しかし、やはり半年分のブランクは大きく、勉強が苦痛となりました。

国語・社会あたりはまだ追いつけたのですが、数学はまったく追いつけず

テストの採点はいつも1桁でした。

ちなみにこの時通った学校は、当時不良が多いと評判の中学校で

少しやさぐれ始めていた自分は不良の先輩たちと少しずつ話せるようになってました。

幸か不幸か、中学校1年の3学期末の時にまたまた両親が転職となります。

不良への道はなくなりましたが、ここから1年で5回引っ越すこととなります。

 

全て愛知県の同じ市内での引っ越しですが、校区が違うこともあり

やはり両親が手続きをしないまま中学の2年まるまる学校にいけませんでした。

そしてやっと中学校に通えるようになったのは、

団地へ移り住んだ時で、(それまでは派遣会社の寮だった)その時には

中学3年の1学期終わりでした。

 

役に立つ暇の潰し方(1年間編)

ちなみに、家にいるときに何をしていたかというと、

スーパーファミコンと、ウーピー・ゴールドバーグの「天使にラブソングを2」を

何回も何回も見てました。

今でもセリフを丸々覚えています。

そして、今でも役に立っている事が1つだけあります。

スーパーファミコンもビデオも見飽きたときに

ずっと読んでいたのが、小学校の時に買ってもらった「国語辞典 」でした。

おかげでほとんどの漢字が読めて、語彙力も自然とあがりました。

(文章力は残念ながら付きませんでしたが・・・)

 

国語辞典のおかげで、1年ちょっとのブランクにも関わらず

卒業までには国語と社会、理科はなんとかテストで40点以上が

取れるようになりましたが、やはり数学と英語は追いつけず、ずっと一桁でした。

 

戸惑い

勉強よりも戸惑ったのは、中学3年生の同級生に自分が

精神的に追いついていない事でした。

周りは修学旅行や林間学校、テストのプレッシャーなど共通経験を沢山経験しており、

その中で恋愛や友情を経て少し大人になっており、なおかつ受験勉強も始まって

ピリピリしている中で、自分はまるで3年のクラスにいる1年の気分です。

 

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そして始まる進路相談。

各々が希望する高校を目指して受験勉強に励むなか、

三者面談で行う進路相談に自分の親が来なかったので、

自分で先生と話しをして、なんとか行ける高校を教えて貰いました。

最底辺の市立高校でも難しいと言われたので、

お金を出して私立高校しかないというのが先生の判断でした。

自分としては、まだ行ける高校があるんだということで、少し安堵しました。

 

絶望の一言

 

帰宅後、高校の案内パンフレットを嬉々として親に渡し

先生との面談の話と、行ける高校の説明をしました。

親は黙って聞いて、そして最後に一言だけ言ってくれました。

「お金ないから無理だよ」

この一言で中卒は確定したのでした。

 

次の日学校へ行き、先生に就職するという事を伝えました。

先生は就職先があるのかと尋ねてきましたが、

最後の意地で、「自分でなんとか見つけます」とだけ言いました。

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男の覚悟

忘れもしない卒業式の日、卒業証書を全員に渡し終えた校長が

「進学〇〇〇名 就職1名 以上!」という言葉で締めました。

その瞬間、自分は普通の人生を歩まないという事を覚悟しました。

 

 おわりに

いかがだったでしょうか。

正直、他人の人生にあまり興味がないかも知れませんが、

なんとなくあまり人に言わない話を書きたくなりました。

何かしら反応がありましたら続きを書きたいと思います。

 

 

 

 

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大丈夫、今は幸せです!